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このページは地獄猫さんが製作したプラモデルを紹介するページです。

彗星制作日記(1)

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中島飛行機(1)

うぴょ!地獄猫です。

第1回「空技廠」が終ってからかなり間が開いてしまひました。スミマセン。

第2回のお題「中島飛行機の「言いだしっぺ」は実はあたしなんですが(笑)、いろいろ他のキットを作ったりして「浮気」してたもので(あせっ)。

それでは、お待たせしました!「中島飛行機」第一回の始まり!なんと言っても中島飛行機と言えば「陸軍機王国」というほど陸軍とのつながりが深いというイメージがありますね。

確かに究極の軽戦闘機「キ−27 九七式戦闘機」から

キ−43一式戦闘機「隼」

キ−44二式単座戦闘機「鍾馗」

キ−84四式戦闘機「疾風」

と日華事変〜太平洋戦争を戦った陸軍戦闘機の中心となったのが中島飛行機の戦闘機達です。まさに、「海軍の三菱」と共に太平洋戦争の航空戦史の半分を支えた、といっても過言ではありません。また、97式からの中島戦闘機の歩みは、そのまま日本の航空機開発の栄光と苦悩を表しているとも言えるでしょう。(この点については、次回以降製作記事と併せてご紹介してゆくつもりです)

個人的には、中島製戦闘機の持つ無骨さ、というか力強さにはとても惹かれます。イメージ的には零戦をはじめとする三菱の戦闘機が優美で女性的だとすれば、中島の戦闘機は男性的という印象を受けますね。特に、キー44二式単戦「鍾馗」の獰猛で過激ともいえるフォルムは日本の戦闘機の中で最も気に入ってます。二式単戦のプラモはいままで何機作ったか判らないほど(笑)

以前、ブースカさんとメールのやり取りをしてる中で、ブースカさんが二式単戦を称して「不思議な形をしている」とおっしゃったことがあります。そう!確かに良く見ると急激に絞り込まれた胴体、薄くて小さい翼、ヘンな所から出ている水平尾翼・・・・・・・等々、均整のとれた零戦に比べると、かなりヘン(笑)これには、中島飛行機の戦闘機の中心設計者、小山 悌技師をはじめとする技術者達の戦闘機設計哲学が反映されています。プラモを作る時、こういった点を観察しながら作るとプラモ製作の面白さも倍増するというものですね。

さて、ちょっと中島飛行機の歴史などを少々・・・・・・・。

まあ、ここではあまり詳しく書く事は避けますが(というよりあたしもそんなに詳しくない(笑))興味のある方は光人社NF文庫より「日本の飛行機王 中島知久平」(渡部一英氏著)が出ていますのでご覧になってください。(じつはあたしもまだ読んでいない(笑))

中島飛行機」というのは大戦中の軍用機メーカーでして、正式には「中島飛行機株式会社」といいます。大戦中の帝国陸海軍機を作ったメーカーは数多いですが、そのなかでも、「三菱重工業」「川崎航空機工業」とならんで「ビッグスリー」と称される中島飛行機は、実は一退役軍人が起こした民間企業だったりします。大正6年、海軍の大尉だった中島知久平氏が退役して興した「飛行機研究所」がその原点です。この中島知久平というお方、海軍の大艦巨砲主義を批判し航空機の時代が必ず来る、という信念の元に自ら日本の航空機メーカーのパイオニアになったというからスゴい!また、後の「富嶽」構想などで、「戦略爆撃」の重要性を解いているのも、先見の明があったということでしょう。それまで長く外国の機体を購入して欧米列強の後塵を拝していた日本の航空界に自主設計、自主生産、そして航空戦力の充実を実現すべく設立した中島飛行機(大正7年「飛行機研究所」から改称)も最初は苦難の連続だったようで、第一号機「中島式一型」は初飛行で墜落!その後4号機までことごとく墜落の憂き目にあっています。なんとかモノになって陸軍に納入した「中島式5型練習機」も設計、製作上の経験ミスによって評判は悪く、まだまだ外国機には太刀打ち出来ない状態が続いたようです。その後、外国機のライセンス生産などで営業的に軌道に乗った一方で日本人の設計者が次第に力をつけていったのが、1920年代でした。

ちょっと話しは変わりますが、太平洋戦争における陸海軍航空部隊のイメージとしては、これはもう圧倒的に海軍の戦闘機、特に「零戦」の活躍が有名ですよね。太平洋戦争の記憶が風化している現在でさえ「ゼロセン」はけっこう知ってる人が多いのではないでしょうか?確かに、太平洋戦争はその名の通り帝国海軍と米海軍の戦いだったワケで(極論すれば)真珠湾に始まってラバウル航空隊の航空戦史に残る活躍など、武勇伝の多い海軍に比べて、陸軍というとインパールやニューギニアでのまさに生き地獄を具現化したような悲惨な負け戦が先に立ってマイナーな存在という感じがしますが、どっこい陸軍航空隊も海軍に負けない活躍をしています。戦中は映画「加藤隼戦闘隊」で海軍機より人気があったんですけどね(笑)。

個人的には、海軍機より陸軍機の方がなぜか気に入ってます。その一因となっているのが部隊マークです。海軍機は味も素っ気もない英数字の記号を尾翼に記入するだけですが、陸軍機はそれぞれの部隊に固有の「部隊マーク」があって、これがとてもカラフルでオモシロイ!また、機体の塗装パターンも陸軍機の方が豊富で、これは研究すればするほどオモシロイものですよ。

さて、話し戻って中島飛行機ですが、最後に中島飛行機が作った飛行機の一覧です。ただし陸軍のみ。また試作機のみの機体は除いてあります(膨大な量になるので)

■五型練習機 ■甲式三型練習機 ■二型滑走機
■甲式二型練習機 ■甲式四型戦闘機 ■九一式戦闘機
■中島フォッカー患者輸送機 ■九四式偵察機 ■九五式二型練習機
■九七式戦闘機 ■九七式輸送機 ■九七式重爆撃機
■一式戦闘機「隼」 ■100式重爆撃機「呑龍」 ■二式単座戦闘機「鍾馗」
■四式戦闘機「疾風」 ■キ−115特殊攻撃機「剣」

上記の内、97式戦闘機、一式(2型)、二式単座戦闘機、四式はハセガワから1/72のキットが出ています。ただ、どれもかなり以前に出金型が作られたキットなので、現在のハセガワのレベルからするとちょっとモノ足りません。二式単戦のコックピットなんてただのバスタブ状のパーツ一つです(笑)ただ、そこはハセガワ!すんなり組みあがるところは流石です。ホントは新金型で出してくれると有り難いんですけどね・・・・・・。また、一式戦については、フジミから一型が出ています。こちらは、バリバリの新作!モノスゴイ良い出来です。日本のプラモデルのスゴさを改めて実感しました(笑)あ、これは現在制作中ですので、97式の記事が終ったらご紹介する予定です。

う〜む、今回は文書のみになってしまいそうなので、以前あたしが作った完成品から中島戦闘機をピックアップしてご紹介しておきます。次回からは、97式戦闘機から製作記事を進めたいと思ってます(とかなんとか言って、実は97式戦闘機はもうかなり前に完成しているのだ・・・・・)。え〜、全て2年以上前に作ったモノばかりなのでホントは人様にお見せ出来るようなモノぢゃないんですが・・・・(笑)。はっきり言ってスゴくヘタです(まあ、今もそんなに変わらないけど)

まずは、2式単戦2機。

日の丸に白帯を巻いたのは、帝都防空に活躍した飛行第47戦隊のものです。主翼に真鍮にて40ミリ(!)ロケット砲を自作してます。また、部隊マークは手書き、脚カバーはアルミ板にて自作です。けっこう凝っているワリにはピトー管がキットのまま(笑)当時、真鍮棒を切らしていたのかな?(笑)


黒い方は、飛行第87戦隊第2中隊稲山英明中尉機です。なんと、この機体一機だけ機体上面を黒に塗っていたとか!理由は分かりませんがなんとなくカッコいいですよね〜。第一次世界大戦時のエースの機体みたい(笑)ところが、日の丸の大きさが大デタラメ!(笑)ホントは大戦初期の小さい日の丸が正しいのでした・・・・・・当時はあまり知識が無かったので失敗してしまひました(恥)。この機体はまた挑戦するつもりです。


最後の四式戦「疾風」はなんとも珍しい「ドクロ」マーク。第58振武隊(通称ドクロ振武隊)の機体です。特攻部隊です。これもマークは手書き。垂直尾翼にジョリーロジャー(海賊旗)ばりのドクロマークと言えば、米海軍のトムキャットかマクロスのバルキリーのスカル戦隊か(笑)ってくらいカッチョいいものですが、このドクロ振武隊は特攻部隊・・・・ちょっともの悲しいですね(特攻隊は特別に機体に自由にペイントすることが許可されていた)。

それにしても、数年前の作品を改めて見直すと・・・・・・・。

う〜ん、やっぱりヘタだ・・・・・・・・・・・。

次回は、中島飛行機第2回「97式戦闘機の予定です。

そんぢゃ!

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