第2回(担当:bu-suka)
第二回目はわたくしブースカが担当いたします。前回は飛行機でしたので、今回は艦船というところで、、、。
旧日本海軍は4つの工廠を全国に所有し、そこで艦艇(軍艦)をつくっていました。横須賀、舞鶴、呉、佐世保の4カ所です。ただそれだけでは間に合わないので、民間の造船所にも発注していました。その民間の造船所の中で創業以来、駆逐艦21隻、巡洋艦12隻、潜水母艦2隻、空母4隻、戦艦3隻など79隻の旧日本海軍艦艇をつくったのが、三菱重工業長崎造船所です。この造船所は1957(安政4)年当時の幕府によって建設され、維新後官立造船所となりましたが、明治17年三菱が経営を引き継ぎました。それ以来、軍艦や客船、タンカーなどを次々と作り出しました。
長崎港はその地形から「鶴の港」と呼ばれてた天然の良港です。中国と近いこともあり、貿易港として栄え、鎖国後も唯一海外との窓口でした。それに天領だったため、商人の町でもありました。当然外国の商人も多く、南山手と呼ばれる地域には彼らの住居がたくさんあり、現在はグラバー園として保存されています。
長崎を訪れた方は御存知でしょうが、そのグラバー園からは長崎港が一望できます。長崎港をはさんで向かい側に、三菱重工業長崎造船所も丸見えになります。したがって、開戦前は造船所で軍艦を造っているところが誰にでもわかったそうです。進水式の時にはかなりの市民が見学に行ったとのこと。
ただし戦争が始まると話は別で、特に戦艦「武蔵」の建造は当時の国家機密であったため、当時の造船所の方は大変苦労したそうです。(この辺のことは 吉村 昭著「戦艦武蔵」新潮文庫に詳しく出ています)。うちの母親も「とてもでかい戦艦を造っているのはなんとなくわかった」と言ってます。この大和級の船を造れるところは日本には3カ所しかありませんでした。「大和」は呉工廠、「信濃」は横須賀工廠、そして「武蔵」は長崎造船所です。
その三菱重工業長崎造船所でつくられた、重巡洋艦「利根」が今回の主人公です。
この重巡は1938(昭和13)年竣工し、機動部隊(航空母艦を中心とした、連合艦隊の中枢)の支援隊として、ほとんどの有名な作戦に参加してます。
■1941(昭和16)年 真珠湾攻撃 ■1942(昭和17)年 ラバウル攻略戦 インド洋作戦 ミッドウェー海戦 ソロモン海戦 南太平洋海戦 ■1944(昭和19)年 マリアナ沖海戦 レイテ沖海戦この最後のレイテ沖海戦は人類史上最後の海戦といわれているものです。旧日本海軍は連合艦隊の総力を結集させましたが、「武蔵」などを失い、ここに壊滅します。
この「利根」は従来の巡洋艦と違って、船の前部に砲を集中させ、後部は航空機の搭載スペースとしたものです。個人的には好きなんですが、ミッドウェー時の偵察機の遅れがイメージを悪くしているかもしれません。
キットの方は以前「フジミ」の担当でしたが、最近アオシマから新金型でたようです。ちょっと前に購入してつくりはじめたのですが、そのままかなり長い間放置していました。たぶんこのままだと思います(^^;
私がプラモデルを作り出したのは最近のことです。まあ、子供のころは皆さんと同様に、造っていましたが、ただの素組で塗装も筆塗りでした。20数年前でしたから、まあそれが当たり前のようなもんでした。
しかし一昨年ふとしたことから、プラモデルを購入し、造りはじめるとこれがまた面白いこと、、。やみつきになりました。その時に購入したのがこの「利根」です。しかし私の腕がついていかず、細かいところを見るとぼろぼろです。したがって、これ以降どうしてよいのか途方に暮れている、かわいそうなキットなんです。私の家にはこのようにかわいそうなキットがたくさん存在しています。申し訳ないことをしたなと思い、このコーナーに登場させたわけです。じつはこの「利根」はもう一つ同じものを持っているのでいつかは完成させたいと思っています。
なんか失敗作紹介みたいになってしまいましたね。
ああ、この企画も使えるかな?(^^;
3回目は地獄猫さんのご担当です。今度はどんなお話でしょう?私もすごく楽しみです。ご期待ください。
■これまでのキットのご紹介■ 展示室名 出展品 第1展示室 シュトルモビク
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