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このページは地獄猫さんが製作したプラモデルを紹介するページです。

彗星制作日記(1)

彗星制作日記(2)

彗星制作日記(3)

彗星制作日記(4)

中島飛行機(1)

中島飛行機(2)


中島飛行機(3) 隼

♪「エンジンの音轟々と〜 隼は征く雲の果て〜」♪

うぴょ!地獄猫です。

今回はあの有名な「隼」です!

太平洋戦争で最も有名な戦闘機といえば、文句なく海軍の「零戦」でしょうね。(もっとも一般では「ゼロセン」呼称がまかり通っていて「レイセン」というと???になるんでしょうが(笑))実績面でも戦争の性格(帝国海軍対米海軍の戦い)からしてもやむをえないかと思います。

ただ、これが戦争中の話しになると話しは別!零戦は軍の秘密主義により一般国民にはあまり知られてなかったのに対し、陸軍の隼は東宝映画「加藤隼戦闘隊」によって一躍国民に知れ渡る存在となりました(戦闘機に愛称をつけるという慣習はそれまでの帝国陸海軍にはなかったのですが、陸軍が一式戦闘機を「隼」と名付け、これがヒットしたため海軍も対抗して愛称をつけるようになったとか(笑))

この「加藤隼戦闘隊」というのは正式には「飛行第64戦隊」といいまして、開戦当初のビルマ戦線での破竹の進撃が有名な陸軍航空部隊の「名門」です。その戦隊長だったのが「軍神」加藤建夫中佐(戦死後2階級特進・少将)です。

加藤部隊長は、自身も凄腕のベテランエースパイロツトである以上に、その部隊統率力で名門飛行64戦隊を、まさに無敵部隊に育て上げた手腕が有名です。40歳を超えるパイロットとしてはかなりの高齢でありながら、全ての戦闘に先頭をきって出撃、それも一日に昼夜を問わず2度3度の出撃も珍しくなかったというハードな戦闘を黙々とこなす姿は彼より20歳も若いパイロット達が舌を巻くほどだったといいます。

「勇将のもとに弱卒なし」飛行64戦隊は多くの戦果を挙げ、また多くのエースパイロットを輩出しました。この破竹の進撃は東宝で映画化され、大ヒットしました。この映画の主題歌が冒頭にご紹介したフレーズで有名な「加藤隼戦闘隊」です。(この曲はもともと映画の主題歌として作られたのではなく、飛行64戦隊の部隊歌なんですよ)

多くの部隊が装備した隼にあって、64戦隊の部隊マーク「矢印」が最もメジャーなマークとなったのはこうした理由によります。

余談ですが、この64戦隊に在籍して戦われた方の手記は今でもけっこう読む事が出来ます。光人社NF文庫「ああ、隼戦闘隊」(著者:黒江保彦氏)「つばさの血戦」(著者:桧與平氏)等々・・・・・・・。特に黒江氏は97式から始まって新設の独立飛行第47中隊で当時試作機のキー44による初撃墜を記録、その後64戦隊第3中隊長となられた方で、その手記はとても興味深いだけでなく、同氏の人間味溢れる個性とプロの小説家かと思えるほどの素晴らしい文章がとても気に入っています。あたしの読んだ、戦闘機パイロットの手記としては1、2を争うほどの傑作だと思

います。(ついでながら、一番好きなのは3式戦で戦われた松本良男氏の著作「秘めたる空戦」

さて、このキ−43一式戦闘機「隼」ですが、海軍の零戦とならんで太平洋戦争を代表する戦闘機です。まさに隼と零戦とは使っているエンジンが同じなら、機体の性格、外見、そして緒戦の華々しい活躍から後継機不足により性能不足になったあとも使い続けられ苦しい戦いを強いられ、最後は特攻機となって散ったその生涯までソックリで、兄弟機といってもいいと思います。

キー43が制式採用され一式戦闘機となるまでは、苦難の連続でした。名機となった97式戦闘機の成功を受けて昭和12年12月、中島飛行機に一社特命で時期主力戦闘機の試作が命じられたのですが、軍の要求する性能は「最高速度500km/h以上、上昇力は5000メートルまでに5分以内、行動半径800km以上」と、ここまでは当時の技術向上を考えれば無理ではない要求なのですが、「運動性は97式戦闘機と同程度とする」という一項目は中島飛行機の設計者を苦悩させました。

すでに、低翼単葉機としては究極のレベルに達していた97式戦闘機と同じ運動性に加え、速度を40km/h、航続力を7割増加させるのはどう考えても無理な相談です。

1000馬力エンジンによるパワーと引き込み脚による空力的洗練をしてみても、とうてい97式戦闘機と同じ運動性を得る事が出来ず、軍の評価も97式に格闘戦で勝てないようでは採用の価値無しと散々なもので、キー43の前途は暗いものとなってしまひました。

キー27の時は三菱、川崎との激しい試作機競争があり勝つべき相手は他の2社の試作機だったのですが、キー43が競うのは、仮想敵国の戦闘機なでどはなく、ましてや三菱、川崎の戦闘機ではなく、自社の前作の機体・・・・・・・・・という妙なものとなったのです。

結局、「重戦」キー44(後の二式単座戦闘機)用に開発された「蝶型フラップ」を流用するなどして、改修を続けるも、当然ながら97式戦闘機には運動能力で勝ることが出来ず、軍、中島飛行機とも前途をあきらめかけていたキ−43ですが、風雲急を告げる国際情勢がキー43を復活させることとなります。

参謀本部から「900キロを進攻し帰還しうる戦闘機を2個中隊至急整備出来るか否か」軍に新たに新設された飛行実験部に打診があったのは、シンガポール爆撃の爆撃機援護の必要性からでした。

これにより急遽「一式戦闘機」として制式採用されたキー43はすぐに量産に移され、開戦と同時にマレー、スマトラ、ビルマと破竹の進撃を開始することになります。

さて、今回製作したのはフジミの新作、1/72「キー43一式戦闘機「隼」」のT型です。単品でも良かったんですが、64戦隊機が3機作れる「加藤隼戦闘隊」と銘打った3イン1セットを買いました。(値段もちょっとだけお得だし(笑))II型はハセガワよりちょっと古め(パネルラインも凸モールド)だけど出来のいいキットがでていますが、T型は初のキット化です。

T型とII型は機首回りの形状やペラが変更されていまして、イメージ的にかなり変っています。丸みを帯びて空力的に洗練されてきたII型に比べ、T型は直線的で無骨な感じですね。個人的にはT型もけっこうカッコいいな〜、と思います。

さて、キットの方ですが、なんせ新作だけあって、パーツの合いは最高です。翼や胴体左右なんて完璧なパーツ合い!考証やモールドも最高です。さらにタイヤは自重で変形した状態を再現しているというのもウレしいですね。

さて、製作ですが全く難しい点はありません。今回も例によってアンテナ柱を真鍮で作り替えたのと、ピトー管を真鍮パイプで作り直した以外は全くの素組み。脚カバーはやや厚みがあったのでアルミ板で作り替えようかと思ったんですがヤメました(笑)メンドイので。

まずはコックピットですが、1/72だと完成後はほとんど中は見えないので手を抜きます(笑)。床、機体内部は青竹、シートはシルバーといったところでしょうか?コックピットが出来たら胴体左右を接着、ついでに主翼、水平尾翼も接着して、合わせ目に溶きパテを塗って、乾いたらペーパーがけ、いつもの作業です。

 

とりあえず、この状態でコックピット部と、エンジン部分をマスキング、機体下面を塗装します。色は、陸軍機の機体下面色(128)をそのまま使用しています。そして、下面のマスキングをしてから上面の濃緑色を塗装します。

なんと今回は、キット付属のデカールを使用して、恐れ多くも64戦隊隊長機、つまり加藤建夫少佐機作ってしまひました。やっぱり一度は作ってみたい機体ですからね。

この機体は、開戦初期のものでして、この頃は胴体側面の日の丸も主翼前縁の味方識別標識もまだ描かれていません。まだ機体上面は濃緑色のベタ塗りです。ラクなもんです。その代わり、といってはナンですが、この濃緑色に気合を入れてみました。

 

実はこの加藤部隊長機は、キットの説明図の他、モデルアート社の「日本陸軍機の塗装とマーキング」(日本機モデラーのバイブル)にも図が載っているのですが、あたしは実機の「写真」を見た事がありません。「日本陸軍機の〜」では、どうやらハゲの少ない奇麗な状態を想像されるのですが、当時の隼の写真を見ると、かなり使い込まれた機体が多いんですよね。塗装がベロベロに剥げてジェラルミンの地肌と緑色の自然の二色迷彩風になっている写真もけっこう見うけられますし、特に南方では照りつける太陽で塗料の退色も激しい機体が多いです。

この加藤部隊長機がどういう状態だったか?実機の写真を見たことがないあたしとしては、頭で想像するしかないのですが、もしかしたらこの「日本陸軍機の〜」掲載の塗装図の元になった写真が撮影された時は図の通りピカピカの新品だったのかも知れませんね。ただ、一日2度、3度にわたる出撃を全て先頭切って指揮した勇猛指揮官の機体、と考えると使い込まれた塗装のハゲた歴戦の機体がふさわしい気がします。個人的にも、連日の激しい戦闘で年季の入った風格のある機体というイメージか強くて、もうボロボロに塗装のハゲたキタナイ機体にしようかな?と思ったんですが、資料重視でおとなしい汚しに落ち着きました。

資料を重視するか?自分のイメージを生かすか?難しいけど面白いですよね。今回は色々資料をあたって散々悩んで楽しませてもらいました。これが模型の楽しみだと思いますよ。

今回はたまたま資料を重視して作ってみましたが、塗装ボロボロの加藤部隊長機を作ってもなんら間違いではないわけで、今度機会があったらそういう加藤部隊長機も作ってみたいですね。

さて、その機体上面色ですが、今は「中島系の濃緑色」という便利なものがあるので、まずはそれをベタ塗りします。ここからが腕の見せ所(笑)次にパネルラインを「中島系の濃緑色」(以下基本色という)よりやや濃い濃緑色でなぞってメリハリをつけます。そのあと、基本色にホワイトを混ぜたもので、翼上面を中心に塗装して「褪色」を再現します。さらに、翼前縁、機首、ステップ部など、摩擦による塗料の剥げか起こる部分を、さらにホワイトを強くした基本色で強調します。これだけで、けっこう深みのある機体ができました、う〜ん自己満足(笑)

その後、シルバーで塗料のハゲをチョコチョコと吹きつけた後、エナメル系の黒を薄めたものでスミ入れ。さらに、エナメル系のシルバーで面相筆を使って塗装のハゲを書込んでゆきます。

当時の写真をみると、機首側面の外板の合わせ目には、多かれ少なかれ塗料が「バリッ」というカンジで剥げたところがあるんですよね、それを再現してみます。

次にデカールですが、なんとこのキット、日の丸の印刷が微妙にズレていて、フチにわずかに白が出てしまっています。シ、シヨック・・・・・・・・・。最初は、ほんの少しだから目立たないかな〜?とゴマ化すつもりだったのですが、これが結構気になる!仕方なく、以前買ってストックしておいたハセガワの「日の丸デカールセット」で差し替えまし。これで問題解決!それにしても、新作なのにこれはちょっとカナシイ・・・・・・・たまたま悪いデカールに当たったのだと信じたいです。

次に、加藤部隊長機ならではの主翼、胴体の帯と部隊マークも貼ります。

それにしてもハデですな〜。

このあたりは九七式を使っていた頃からの伝統が残っているんでしょうね。

最後にデカールと機体のツヤを整える為&デカール面の保護の為、フラットベース入りのクリアを吹いて塗装は完了!あとは、脚やらペラやらをチョコチョコつけて、アンテナ線を張って完成です。

疲れた〜。

それにしても、隼って結構美しい機体ですね。広い翼に細長い胴体・・・・やや華奢な印象をうけますが、機体全体のフォルムを見ると、97式と驚くほど良く似ています。97式の延長線上の機体だという事が良く分かりますね。

実は、隼を作ったのはこれが初めてなのですが、結構機気に入ってしまひました。あと2機分、64戦隊機が作れるし、ハセガワのII型もストックしていたりします。II型なんかは「ニューギニアは南郷でもつ」といわれた南郷茂男大尉の機体を再現してみたら面白いでしょうね。

しばらくは隼に夢中になりそうです。

あ、次は「鍾馗」・・・・・・・・・・作らなきゃ(笑)

そんぢゃ!

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